令和3年10月21日(木)『新橋演舞場新派公演、小梅と一重。大夫さんを見る』

久しぶりに新橋演舞場に行った。先代の猿之助の公演や、歌舞伎座建て替え中には、毎月の様に通ったが、コロナ禍、久し振りの訪問である。

花柳章太郎追悼公演と言う事だが、私は、章太郎の舞台を見た事がないので、どんな役者だったのか、分からない。新派に女形の芸を持ち込んだ人だそうだ。

小梅と一重は、役者を巡り、自分が育てたと思っている芸者と、若くてきれいな芸者が、対立する趣向で、売り出し中の役者銀之助を、喜田村六郎(市川段治郎)、新橋の芸者で銀次郎を育てたと自負する芸者小梅を、河合雪之丞(市川春猿)、仲裁に入る一中節の師匠、水谷八重子と言う顔ぶれ。銀之丞を張り合う、新富町の芸者蝶次を瀬戸摩純が務めた。蝶次は張り合うのではなく、ただ謝り、身を引くのでは、劇として面白くない。銀之助も何で、若い芸者に乗り換えるのか、その必然性が良く出ていない、中途半端な劇だと思った。

大夫さん、何と読むのか、こったいさんと読む。戦争が終わって間もなくの、京都

島原遊郭が舞台。江戸時代さながらの花魁の美しさが印象に残る。波野久里子が宝永楼の女将、お栄を演じた。妓楼の日常生活を描いて、豪華な舞台だった。私が生れた少し前は、こんな江戸時代かと思わせる光景が広がっていたんだと驚く。藤山直美が二万円で売られてきて、大夫になるという物語だが、藤山直美の見せ場は余りない。やはり舞台の中心はおえいで、しみじみと語ったり、怒ったり、泣いたり、すねたり、笑ったり、情にほだされたり、様々な女の顔を見せてくれて楽しかった。この舞台は、波野久里子あってのものだ。新派の劇で使われる、美しい日本語は、京都の言葉だが、素敵だと思った

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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